「この量の本から資料を探せって言うの……」
早くも愚痴を吐くマーズを「無理なら降りたら良い」と牽制すると、無理だとは言っていない、だのと噛み付いてきた。彼女をいなしながらミオの図書館を一周し、簡単な館内図を頭の中に入れた。アカギ様の指令通り、歴史書や民俗学、神話の解説書が並べられている本棚を探すことになった。
「何も、全て読み込む必要は無い。資料になりそうな文献を丸ごと抜き出せば良いだけだ」
アカギ様からもらった事前資料は読んであるし、歴史や神話などアカギ様が求めておられる大まかな情報はこちらでも調べて頭に入れてある。マーズはどうだか知らないが、ボスの命令だから渡された資料くらいは読み込んである、と思いたい。
「せっかくミオまで来たのに、あなたと一緒だなんてねえ」
「他に誰か、一緒に来たかった人でもいるのか」
本棚に並べられた背表紙を目でなぞりながらマーズの戯言に付き合う。普段の態度を見ても特定の個人はいないのだろう。マーズの反応を窺い見てもそれは明らかだった。いつもに増して赤い瞳がきつく開かれている。
「あなたはそういうところが嫌味っぽいの、誰もいるわけないじゃない」
アカギ様と来たかったけどあの人はそういうお方じゃないし、とマーズは一人で理屈を捏ね始めた。出会ったときから思っていたが、マーズは随分と彼を慕っている。だが、慕っていると言うには余りにも純情だった。
「あたし、アカギ様しか考えられないの。でもアカギ様とあたしはそういうのじゃないし」
「そうか。どういうのかは知らないが、業務に支障が無いならば良い」
マーズといる時の私は挑発的になってしまっている、と思う。彼女の気の強さが移るのだろうか。
「てか、あたしに恋人がいたら、とっくにミオに観光に来てますけど⁉」
急にマーズの声のボリュームが上がった。声が良く通るものだから、他の利用者の目が気になってしまう。今のマーズは精々『歴史の勉強にきた学生』あたりに見えただろうが、もっと際どい話題であったら危なかった。組織の規模はまだ小さく、たちまち話題に、というレベルではないが、怪しい団体が神話を調べていると世間に知られたら、今後目立った行動がしづらくなるではないか。
「図書館だ、声を落とせ」
「あんたって、……はああ、ほんっとムカつく」
マーズが睨むのを尻目に、目についた本の背表紙に手をかける。彼女のアカギ様への思慕は盲目的と言うのだろうか、憧憬を幾層もアカギ様に重ねているように見えた。彼女がもしあの人の意図を知れば好意が崩れ去ってしまうような、脆いものに感じられた。
「今回の目的は歴史、神話、伝統文化か。……神話の資料から抜き出して積んでくれ」
「その辺りはあなたにお任せ。あたしは力仕事でいいわ」
マーズが右手をひらひらと振った。余裕そうなマーズの手の上に分厚い書籍を五冊ほど重ねていくと、マーズが「重⁉」と沈みかけた。
「貴重な資料だ、丁寧に扱え」
「神話って意味分からないわね」
個人出版された本を読んでいたマーズは、マーズは、何この話、と他と異なる字体で書かれた神話を指さした。シンオウ神話というらしい。元は口伝の歌だったのか、言い回しが曖昧で、私には詩のように感じられた。伝わる過程で何かの名前だと思われる部分が数か所分からなくなってしまったようで、文の中に「?」のマークがあった。
「語り継がれるにつれて変化したところや分からなくなったところも多いだろうからな。神話そのものだけ抜き出しても意味が無い。資料を照らし合わせてできる限りオリジナルに近いものを探り出すところまでが今回の仕事だ」
オリジナルねえ、とマーズがこぼす。
「でもこれ、ただの神話でしょう?調べて何になるのかしら」
飽きてしまったのか、マーズは相変わらずぺらぺらとページを捲り続けている。写真が載っているページでは手が止まるが、それも一瞬だ。写真でこれなのだから、細かい文字など読んでいないだろう。
「何も分かっていないな」
私は溜息を吐いた。何も知らないこの女がなぜ幹部になった?
「私たちは、神話の世界を現実のものにしようとしているんだぞ」
これから知るから良いのだろうか。だがアカギ様はなぜ何も伝えない? ここまで何も知らない上、今日の態度を見るに与えられた情報を知ろうともしていないのに、ただ盲目的に従うからというだけで幹部になっているのだろうか。
「……あー、そう。そういうの、あなたから言われてもあたしは何も分かんないわ。あたしに命令できるのはアカギ様ただ一人。忠告できるのもアカギ様だけなの、分かっていて?」
マーズの声がワントーン低くなる。顔を見れば、目も口元も笑っているのに、非常に冷ややかな表情をしていた。少し苛立ちを表に出し過ぎただろうか、と後悔した。こんなところで言い合いになっても何にもならず、ただ目立つだけだ。少々不服だったが、「すまない」と一言いうとマーズは「へえ、あなたって謝れたのね!」と芝居がかった調子で焚きつけてきた。喧嘩を仕掛けてきていることは明らかだった。私は言葉を飲み込み、この女の存在を忘れることで理性を保とうと再び本に目を落とした。
「アカギ様、本当にこの資料必要なのかしら」
マーズが独り言のように呟いた。歴史、神話、風俗のあらゆる資料を集めるのが今回の仕事だろう。どういうことだ、と言えば彼女は、そのままの意味よ、と返した。
「だって、これだけ大きくて神話について詳しく調べられる場所、もう来ていそうだもの。数人しか団員がいないのに、倉庫には既にシンオウ中から集めた資料があるのよ。数少ないしたっぱたちは使えないし、あたしもあなたも神話のことなんて今日まで何も知らなかったんだから、全部アカギ様が集めたのだと思うけど?」
「確かにそうだな。……ボスにはボスなりの考えがあるのだろう」
そう言いながらあのお方の真意について考えを巡らせる。アカギ様に計画を最初に話され、最初に賛同したのは私だ。その当時から既に彼の住む部屋には様々な文献資料や遺物のようなものが山積みになっていた。彼女の言う通り、彼が一人で集めたものなのだろう。この女は鋭い。
「アカギ様のこと、もうちょっと考えながら動いたらどう? あなた、いつもアカギ様の理解者ですみたいな顔してると思ってたけど、そう見えるだけね」
アカギ様だけでなく、私のことも思っていたより深く見ているのかもしれない。このまま、そんな会話を続けるのは得策ではなかった。
「……さっきから思っていたが、ここでボスの名前を出すな。警備員に聞かれたらまずい」
この女は声が通る。ただでさえ静かな図書館なのだから、傍で聞き耳を立てていれば何を話しているのかすぐに分かるのだ。私に悪態を吐くだけならばまだ良いが、組織の内情や目的を公的機関に知られればすぐに解体されるだろう。
先ほどから向けられる針のような悪意に溜息が出そうだ。今までの小さなやり取りを、点と点を結ぶようにして解する。そこから導かれるこの女は、馬鹿ではなかった。
マーズのあの方への憧れは彼女自身の揺らがないプライド、絶対的な自信であり、彼女がそうであろうとする限り壊れるものではないのかもしれない。そしてこの女は相当強かだ。「ギンガ団のマーズ」になるために捨てたものや蹴落としたものは少なくないのではないか。もしかしたら元々捨てるものなど無かったのかもしれない。
だが、彼女が私の過去に興味が無いように私も彼女の素性を知りたいとも思わない。過干渉する必要は無いのだ。幹部として互いを監視し合い、予定通りに計画を進める、それで良い。
「でも、アカギ様が言っていた通り、あたしたちがこの世界を創り替えるとは知っているのね。いいじゃない、あたしこれからあなたのこと信用するわ」
「……試していたのか」
何も知らないからと能力を見くびっていたが、おそらくこの女は残酷だ。今日もし私が選択を間違えていたら、今後私にマーズの任務の情報が何も回ってこなかったことも考えられる。だがこの組織において、その残酷さは信用に値するだろう。
私もお前のことは信用しよう、と言うと、彼女は思い出したように、でもあたし本当に神話のこと分からないの、頭の方は任せたから、などと宣い早速仕事を押し付けてきた。
「あなたが資料調べをしている間にお土産買ってきても良いかしら? もちろんあなたの分も買うわね。どのお菓子が良いか教えてちょうだい」
「勝手に話を進めるな。二人で調べて二人で買いに行った方が効率が良い」
仕事を放棄するなと言ったつもりだったのだが、マーズは「なにそれ。あたし、あなたとデートみたいなことしたいわけじゃないわ」と再び私を針で刺してきた。
「調べものに協力したら、アカギ様の好みを教えてやる」
「あんまり期待できないけど。まあ、いいわね。それで好みが外れたら承知しないわ」
もう軽口に付き合う気も失せた。何とかマーズを席に着かせたが、またすぐ飽きて立ってしまうのではなかろうか。私が諦めた方が早いかもしれない。
本のページを捲る作業はマーズが思っているよりも長く続くだろう。まだ日は高いが、資料集めが終わる頃には辺りは紺色に染まっているはずだ。仕方ないが、土産は昼の休憩時間にでも一緒に買いに行ってやろう。
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