マーズが死体を埋める話

真夜中、トバリシティの明かりも届かないような深い雑木林で、二つの人影が蠢いていた。二人がかりで重たそうな麻袋を引き摺りながら、更に奥へ奥へと進んでいる。
「もう! なんであたしがあなたの尻拭いをしなきゃいけないのよ」
特徴的な髪形をした赤髪の女が文句を言うと、傍らにいる青緑の髪を耳元で切りそろえた女が申し訳なさそうに俯く。赤髪の女があーあ、と苛立ちを隠そうともせず眼球をぐるり回すと青緑の髪をした女はさらにうなだれた。
「すみませんマーズさま……。ギンガ団のこれからについて口論になってそれからのことはよく覚えてなくて……。でも私が、私がやったんです。私のリーダーはマーズさまだから、相談しないといけないと思ってえ……」
いい歳をして今にも泣きそうな青髪の女に、『マーズ様』はわざとらしくため息を漏らす。
「ちょっと、あたしの名前を呼ばないでよ。誰に聞かれているか分からないでしょ。あんたのチームのリーダーは一応あたしだけどね、その上にはボスがいるってこと忘れないで。あなたがしたことのせいで組織に何かあってからじゃ遅いんだから」
「は、はいい、すみません……」
二人は麻袋の重みに息を吐きながら無言で進み続けた。殊に部下は悪道に慣れていないらしく、また彼女が着ている服もあり幾度か転びかけていた。マーズはダウンコートにナイロンパンツを履き厚手の軍手を付けているのに対し、部下は女性ものの輪郭が華奢なコートを羽織り手首にファーの付いた手袋を付け、さらにはショートブーツまで履いている。部下の装いは明らかに運動量に合っていない。
月が明るい夜だった。マーズは涼しい顔をしているものの、部下はぜえぜえと息を切らしなんとか食らいついている。マーズが進むのが遅い部下をちらりと振り返った時、突然ズバットの群れが真向いに迫ってきた。このような野外での活動に慣れていない部下は、「ひっ」と声を出し尻餅をついた。
「マーズ様、今の何ですか⁉ ひ、怖い、帰りたいよう」
「ズバットよ」
重い荷物を持ち歩き続けた疲れからか、彼女は群れが通り過ぎるまで立ち上がることができないようで、マーズは怯え騒いでいる彼女を見て小さく舌打ちをした。しかしズバットの鳴き声と羽音で部下には聞こえていないようだった。部下がやっと立ち上がることができるようになりマーズを見上げると、マーズは待ちくたびれたと言わんばかりの視線を寄越している。我に返った部下が「すみません」と謝ったが、マーズは「早く行くわよ」と言ったきり謝罪については何も言わなかった。
「大分奥まで来たわね、この辺りでいいかしら。穴を掘るのも大変だわ。こんな、手が汚れちゃうじゃない」
地面に跡が付かないようにね、とゆっくり麻袋を下ろすとマーズは軽く伸びをした。部下は屈んでいて、どうやら立つことも難しいように見える。
「本当にすみません……、相談できるのがマーズさましかいなくて……」
「大体ねえ、あたしの呼び出しにそんなコートと手袋付けて来るところからやる気が足りないのよ」
「すみません、これしか持ってなくて……」
マーズに「まったくお嬢様ね」と悪態を吐かれた部下はより一層しおらしくなった。マーズも、この部下が世間知らずの箱入りお嬢様であったことは知っていたがここまでだとは思わなかったようだ。そんな部下に少々苛つきながらも、彼女が置かれている事態を冷静に把握している様子だった。
マーズが麻袋を見つめながら口を開いた。「この死体、家族とかいるの? 捜索願が出されて警察に追われたりとかはないでしょうね」
「ないと思います、家族や友人との縁は切っているそうなので」
部下は落ち着いた様子で答えた。
マーズも部下の答えを「あ、そう」とだけ言って受け流す。
上司に毒づかれ落ち込んだりズバットの群れに騒いだりしてはいるものの、今ある情報の整理はできているらしい。その後も聞かれた質問にすらすらと答えていたのは、普段から質問に答えられないとマーズが怒るからだろう。
マーズは、ならば自身がした質問は大した問題ではなかったとでもいうように部下の答えを流すと「あんたも掘りなさい」と麻袋の中から出てきたショベルを渡した。マーズもショベルを持つと、棒立ちのままの部下を余所目に土に突き刺した。ショベルが地面を二往復ほどしたところで部下は彼女が何をしようとしているのか察したようで、自身も慌てて土を掘り始めた。
「で? 口論になった理由、聞かせてくれない? ギンガ団のこれからってなによ?」
マーズがさっぱりとした調子で聞くと、部下はぽつぽつと思い出すように話し始めた。土を掻く音の一つがゆっくりとしたペースになった。
「ええと……こんな私の面倒をよく見てくださるマーズさまだから言えることなんですけど……彼はギンガ団が新しい世界を作ると本気で信じているんです。でも私はこのままの状態で満足していて。新しい世界にならなくても、この世界で、ギンガ団として生きていけたら良いと思っているんです。……おかしいですよね、私」
「……おかしい?」
マーズの手が一瞬止まり、発せられた声は酷く冷たいようだった。しかし部下はもう自らのことで一杯なのだろう。彼女の変化に気付かず、あまつさえ穴を掘る手を止めて話し続けた。
「はい。みんな、新しい世界を作ろうと躍起になっているようにしか思えないんです。みんなが頑張っている中で私、これは全て無駄なことなんじゃないかって思ってしまって……」
「手が止まっているわ。早く掘って」
「はい、すみません……」
無言で掘り続け暫く経った頃、彼女らの目の前には人間がちょうど二人入る程の大きさの穴ができていた。穴自体は深くないが、月明りにできた二人の影で底は黒く、落ちてしまえばもう戻って来られないように見えた。
「このくらいでいいかしら」
「大きな穴になりましたねえ……」
マーズは感心する部下を顎でしゃくって急かすと、麻袋の膨らみからポリ袋とさらにその中から男の身体を引きずり出した。男はマーズの部下の女と同じく青緑色の髪を切りそろえているようだったがそれも乱れており、額には血が流れた跡があった。
「これを穴の中に落とすんですよね。最後の一仕事、任せてください」
部下は非常な状況にも慣れ元気が出てきたのか一人で盛り上がっている。「血に触らないで持ち上げて」と言う前に彼女は頭から死体を起こしていた。「マーズ様、これで良いですか?」と興奮して大きな声を出す部下に、マーズは「まあいいけど」と低く呟いた。
注意を聞かなかった部下はやはりまたマーズの言葉を聞いていなかったようで、一人で男性の遺体を持ち上げようと彼の腕を肩にかけているところだった。マーズが、こうすれば重さを感じなくて済むわ、と部下に力の入っていない人間の運び方を教えた。こうすれば一人でも運べるわね、とマーズは部下を見守っている。部下はよろよろと、しかししっかりと地面を踏みしめて数歩進み、穴の前で男性の両腕を支えていた手を離すと、男性の遺体は重力のままに穴に落ちた。
遺体の片足が穴の淵に引っかかったのを部下は優しく手で退けた。つい数刻前まで生きていた男性は、まるで温もりを感じず痛々しかった。
「お、重かった……成人男性って重いですねえ、こんなに大きな穴を掘らないといけないだなんて。後は彼を埋めるだけでいいですか?」
穴の中を覗き込んでいた部下が半分振り返ると、そこには微笑むマーズがいた。
「いいえ、あんたも埋まるのよ」
「え?」
部下は背中を右足で蹴られ勢いよく穴に落ちた。柔らかい物に身体を打ち付けた鈍い音がした。部下は起き上がろうとするが、彼女の下には冷たくなり動かない男性の身体があり不安定だ。穴の底の彼女は顔だけ外側に向けると、何が起こったのか分からないとマーズを見上げた。マーズの顔は影になってしまいもうよく見えない。反射的に目を瞑り腕で顔を隠した瞬間、部下は頭から土をかぶった。口の中に泥のかたまりが幾らか入ったようで、彼女は顔を歪めている。穴の底では湿った土の生乾いたような臭いがする。部下は「え、なんで、マーズさま」と動揺のまま喉から出てきた単語を口にしているが、頭上からは間隔良く土が降ってくる。急な出来事に動けないのだろう、抵抗しない部下の顔は既に泥だらけだ。降りかかる泥土を恐れながら薄く目を見開くと、彼女が実家を飛び出し始めてできた上司がやわらかく冷ややかな微笑を浮かべていた。
「この世界はあたしたちが新しく作り変えるんだから、このままなあなあに生きていこうとする輩はいらないわ」

 

「マーズ」
「なあに、サターン? あたしちょっと忙しいんだけど」
マーズは食堂の椅子に腰掛け、こちらに目を向けず携帯式の情報端末をいじり続けている。片手を伸ばしミックスオレ缶を手に取ると刺さったストローを吸った。
「休憩中にすまないな。お前の部下なんだが、ふたりほど減っていないか?」
私は、つい先ほど気になったかのようにできるだけ自然に尋ねた。気分屋のマーズが拗ねて問題がややこしくなるのを防ぐためだったのだが、彼女は私が思っているほど子供ではなかったようだ。マーズは表情を変えず、端末を見たまま再びミックスオレを飲んだ。
「したっぱが耐えきれなくなって逃げていくことなんて、日常茶飯事でしょ」
私が言いたいことは分かっているだろうに、しらを切る彼女に溜息が出そうだ。椅子を引き、彼女の正面に向かって座る。
「二日前に部下から連絡があった。お前の班にいる部下二人が倉庫の辺りで激しい口論をしていたそうだな。助けてくれ、という声が聞こえたとも言っていた。二人の姿が見えないのはそれ以降だ。……二人はどうした」
口調が冷たくならないように気を使って話す。頭に血の昇りやすい彼女とこのような場所で口論になるのは避けたかった。人は払ってあるが、もし部下に口論の一部始終を見られていたら彼らへの示しにもならないからだ。やっとマーズがこちらに目を向けた。怒っているようではなかった。しかし今責められるべきはそちらなのに、なぜこちらを試すような表情をしているのか。怒っているようには見えない。それどころか、責められる側とは思えない薄ら笑いを浮かべていた。
「流石、あなたの部下はあなたに似てよく聞きよく見ていると言わざるを得ないわね」
マーズは、部下二人が口論になり片方が衝動的に重いもので殴ってしまったらしいことを舌滑らかに話し始めた。殺した方の部下から経緯は聞いたものの、何故口論になったのかまでは知らないという。遺体を殺した方の部下と一緒に森の奥に埋めたらしい。その部下も穴の中にいるそうだ。使ったショベルや麻袋は既に処分し、指紋や足跡にも気を付けたらしいが、凶器など何か情報の断片が残っていないとも限らない。
「事情は分かった。今回は警察の内部に手を回しておこう。警察内にも協力者がいるからな、ここまで怪しくてもなんとかなるだろう。……そう祈るしかないがな」
「あら助かるわ。簡単に埋めたくらいじゃあ、散歩に来たガーディが掘り当ててしまうでしょうね。それに、シンオウの警察は優秀だもの」
芝居がかった言い方に、どうせ私が手を回すことを分かって話していたのだろうと気づく。白々しい態度だ。
「どうしてあの女を警察に突き出さなかった?」
そもそもあの女が犯人なのだ。さっさと逮捕させておけば、痴情のもつれなどこことは関係ない所で勝手に起こしたことにできたかもしれない。
「そんなの駄目。あの子は何でもぺらぺら喋っちゃう子だもの、ギンガ団のことがバレちゃうわ」
そう言う彼女は可愛くて放っておけない後輩のことを話しているような顔をしていた。普段の彼女を見ていても特定の部下と親しくなるほど会話をするようには見えなかった。その後輩を生き埋めにしたにも関わらず、その行為とは程遠い日常のことのように話せるのは自分とそのポケモン、そしてボスのことしか気に留めない彼女らしいが。
「そうか。お前がチームのことをよく見ているのは分かった。だが内部にある不和の芽は潰しておけ。私たちの上にはボスがいることを忘れるな、組織に何かがあってからでは遅い」
「はいはい。チームの中の誰かが勝手にしたことも、全てはあたしの責任よね。分かってるわ、そんなこと」
「そういうことだ。お前に限って無いとは思うが、あまり一人一人に入れ込まない方が良い。次に何か大きな問題が起こっても庇いきれないからな」
言葉を選ぼうともしない彼女のよく切れるナイフのような性格に少し同情してそう言うと、彼女は、あらあら、と話の間ずっと離さなかった端末を机に置き、腕を組んで椅子の背に大きくもたれかかった。
「あたしがそんな人間に見えているの? 普段からあたしによく小言を言ってくるけれど、今日はこちらから教えてあげる」
マーズが脚を組む。私を威圧したいことが姿勢から見て取れた。
「感情を持ち込むのは、あんたの悪い癖だわ。あなたみたいにしたっぱ一人一人の名前を覚えて何になるのかしらね。アカギさまもいつも言っているじゃない、サターンはもっと自分のことを考えた方が良いわ」
他人の善意を絡め取って挑発してくるのはいつものことだ。相変わらずの態度に呆れながら「人がせっかく情けから忠告しているのに」と言うと「だってあたしはあの子の名前も知らないのよ」とマーズがからから笑った。
「いい? サターン。私情を挟んだら負けるわ。あなた、アカギさまの横では一人だけ何でも知っている顔をしているけれど、何か聞かされているのよね。いいえ、あたし、その内容は聞かないわ。でもね、知っているがために感情を優先させたら、あたしはあんたを許さない。そこのところ、分かっていてよね」
「ああ。そのくらい理解している」
強気な物言いに圧倒され神妙な顔つきで頷くと、マーズは興味を失ったのか「そう、ならいいけど」と言いながらストローに口を付けた。ズズ、と濁った音をさせると、マーズは、空ね、と言い壁にかかった時計を見て席を立った。そろそろ休憩が終わるようだ。
「裏に手を回す前にもう一度話を聞く。その時に埋めた場所と経緯も詳細に教えてくれ」
食堂を出ていく彼女にそう声をかけたのだが、聞いているのかいないのか何も反応は無かった。だが返事をしないだけで絶対に聞いているだろう。私からは見えないと思って下唇を突き出した顔なんかもしているかもしれない、と思うと勝手に気が重くなった。
今日の業務が終わったら彼女が帰る前に引き留めなければならない。また嫌な顔をされるだろうが、自分で蒔いた種なのだから後始末くらいは手伝ってほしい。溜息が出ていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です