贖罪

そういえば、あのお方がいなくなってもうすぐ一年になる。もうそんなに経つのか、と思ったが、この一年間を一つ一つ順を追って思い返せば確かに時間が過ぎたことが実感できた。
「ねえ、やりのはしらに行こう」と言われたのはそんな時だった。この小娘はいつも仕事中に遊びに来てはちょろちょろと動き回り、飽きると私を眺め、そしていつの間にか帰っている。椅子に座って私がキーボードを叩く音を聞いていた彼女は、私が手を止めカレンダーを見ていたことに気付いたようだった。
「あそこは迂闊に近づいて良い場所ではない」
「大丈夫だよ、私がディアルガもパルキアも、ギラティナも連れて行くから」
私は溜息を吐いた。気が進まないことをやんわりと伝えようとした結果だ。適当な理由を風の前の塵にする、これほどまでに力強い言葉があるだろうか。彼女はまだ子どもだから遠回しな表現が分からないのだ、と思い込んで気持ちを持ち直した。
「心の準備もあるからな。……今週の終わりでも良いか」
そう言うと、彼女は少し不満げな顔をした。どうやら今すぐにでも行くつもりだったらしい。好きな時に好きな場所へと行ける自由さが少し羨ましくなったが、今日はまだ仕事があるのだとたしなめた。彼女は渋々、「分かった」と了承した。
週末までに溜まった仕事を片付けてから行かなければ、と直感的に思った。帰ってきた後しばらく気持ちの整理をする時間が必要になるだろうからだ。休みが取れるかは分からないが、できるだけ何も残っていない状態にして行った方が良いだろう。「やりのはしらに行くのなら、今日はもう帰るんだな」と彼女を書斎の外に追い出した。

待ち合わせ場所のクロガネの外れまで、彼女は空を飛んで来た。地上二メートル程の高さから鳥ポケモンを飛び降り駆け寄ってきたが、トレーナーの誰もが顔を知るこの地方のチャンピオンなのだから、もう少し目立たないようにやって来ることはできないのだろうか。苦言を呈すと彼女は、「そうだよね、ギンガ団は悪の組織だから私と会っていることが知られたらまずいもの」といたずらっぽく笑った。そんなカードで私を脅せると思っているのならば甘い。「今はもうクリーンな組織だ」と釘を刺しておいた。
洞窟の中は体感温度が二度ほど低い気がした。野外での活動は主にマーズとジュピターが取りまとめていたため、テンガン山に入ったのはこれが初めてだった。地面も壁もなんとなく湿っていて居心地が悪い。あまり激しく動きたくはない場所だ、と思った。
「そういえばサターンさんって、なみのりとロッククライムができるポケモンは持っていなかったよね?」
「ああ。……必要なのか」
「要るよ。でも大丈夫、この子にサターンさんを運ぶために往復してもらうから」
ヒカリがモンスターボールからエンペルトを出した。あの時リッシ湖で、私の切り札であるドクロッグを倒したポケモン。このエンペルトはヒカリが最初に選んだポケモンで、一番の理解者であるそうだ。「よろしく頼む」と言うと、エンペルトはやれやれとでも言うような声を出した。彼女のポケモンにどう思われていようと私には関係ないが、こういう時に信頼関係がないとポケモンに乗るのは難しい、と思う。

ヒカリが先になみのりとロッククライムをした。彼女の姿が見えなくなってから少ししてエンペルトが戻ってきた。勢いよく水辺を泳いでくるエンペルトの角は王冠のようで、学術的に皇帝ポケモンと分類されるのも頷けた。
しかし、人生で初めてのなみのりとロッククライムをするにはこのエンペルトはあまりにも危険運転だった。ジェットスキーにも負けない速度で泳ぐらしい、とヒカリから聞いたことがあるのを思い出した。彼女は慣れているから良いのだろうが、全く同じ扱いをされてもついて行けない。エンペルトなりに私を認めてくれているということだろうか。だが、小さな池を渡って崖を登り切った後には乗り物酔いを起こしてしまっていた。
「もう二度と乗らん……」
「大丈夫? なみのりはしなくても帰れるけれど、崖を下るのにロッククライムは必要だわ。ゆっくり進むようエンペルトにも言っておくから。ね」
ここから先はなみのりもロッククライムも無いから安心してほしいと諫められたがしばらく動けそうにない。「ちょっと休ませてくれ」と、早速休憩を挟んだ。

調子が回復したので奥へ進むと、爆弾か何かで破壊された壁画の跡があった。犯人は誰か訊かずとも分かった。残された壁画の淵を撫でた。
「これは……。現存していたらどれだけ価値があったのか」
「そうね。でも、もう残っていないのだから仕方ないわ。シロナさんは悔しがっていたけれど」
ヒカリはあっけらかんとした調子で言う。その言葉が余計に未だに散らばっている壁画の瓦礫を痛々しく見せた。瓦礫と僅かに残った壁画は、周りの岩肌とは少し色と手触りが違った。
「だからといって、破壊することはないだろう。もっと、別の方法があったはずだ」
「それをサターンさんが言ったらダメだよ。リッシ湖を爆破したでしょう」
ヒカリが軽い調子で言うからこそ心臓を太い杭で貫かれた思いがした。そうだ。私も湖を爆破し干上がらせたことがある。その他にも非人道的な行いを幾つもしてきた。私が言えることではない。
「……そうだな」
気まずい空気が流れた。気まずいと思っているのは私だけかもしれない。ヒカリが「先に行こうよ」と催促した。
一体これはただの壁画だったのか? 意図があってこの先、やりのはしらへと続く道を塞いだのではないか、と思った。

洞窟を抜けると激しい雪が降っていた。風に乗った雪が顔に叩きつけられ、息が詰まりそうだった。
「こんなに雪が降っていたのか……」
雪が降っていたことなんて記憶になかった。モニターでテンガン山を登って行くボスと同僚、そして部下を見ていたはずなのだが、彼らがどうやってやりのはしらまで行き、そしてどうやって帰ってきたのかよく覚えていない。やりのはしらを液晶越しに見たのは今となっては遠い昔のようだし、ボスが泥沼のような闇の中に消えてからはこれからどうしたものかと頭が真っ白だった。
「さむいものだな」と言ったが、声は音もせず降り積もっていく雪に吸い込まれてしまった。しかしこの少女は耳聡く聞いていたようで、「ギンガ団の人たちはこんな雪の中、ヘリコプターで来たの?」と驚いたような顔をした。
「私はアジトに居たし、夢中でいたから覚えていない。当時は最も重要な作戦の途中だったからな」
「そうなのかなあ」
「そういうものだ」
深雪に足を取られながらゆっくりと進む。ヒカリは慣れたように進んで行くが、私にとっては初めての道なき道だ。爪先を見ながら次の一歩を踏み出すだけで精一杯で、今いる場所が正しくやりのはしらへ繋がっているのかも分からなかった。
こんなに静かで冷たいと一人で進み続けている感覚に陥る。そして、ぼんやりと色々なことが浮かんでは消える。
私が前線に立って指揮したのはリッシ湖が初めてだった。ギンガ爆弾のスイッチを押した時、同じく腹の底にある導火線にも火が点き、そして爆発した。そこから先は抑えようのない高揚に全てを任せていた。あの時の私は酷く興奮していた、と他人事のように思う。そしてこの子どもに作戦を邪魔され、熱い頬と指先の冷たさだけが残ったのだ。
ボスは矛盾した人間だった。心を憎みながらも熱い言葉で他人を自在に操る。ボスの創り出す世界を見定めようとした私もいつの間にか彼に心を蕩かされ、ギンガ団の目的に目が眩み、一途になっていた。
やりのはしらで今までの積み重ねが無に帰してからも、いなくなったボスのことを考える余裕など無かった。警察への根回しや去っていった団員の監視と口封じ、残った部下への鼓舞で忙しく、彼のことを考えるのは夢の中だけだった。私にとって、崇高な理想よりも何よりも、自分の身が大事だったのだと気付かされた。
「ねえ、このままだとはぐれてしまいそう。私じゃなくて、サターンさんが」
前方からヒカリの声が聞こえ、現実に引き戻された。そういえば、と顔を上げると彼女はしばらく待っていたようで、足元が丸く踏み固められていた。急に寒さを思い出す。「すまない」と謝った。
「ね、だから、手を繋いで行こうよ」
「……はあ」
ヒカリは「そうすればはぐれないでしょう」とにこにこしている。なんだこの小娘は、と思ったが、彼女の言うことも確かだった。私が途中で力尽きて進めなくなっても、雪が音を吸い込むせいでいつ気付くか分からない。私が考え事をしながら進んでいるせいで、気付かぬうちに違う道に逸れていることもあるだろう。
仕方ないなと冷たい手と手を繋ぐと、ボスへの後ろ暗い気持ちがこの少女への散漫とした猜疑心にすり替わり、最近ずっと脳内にちらついている彼の面影を遠くの方へ追いやることができた。

再び洞窟の入り口がうっすらと目の前に見えてきた。重い足取りが少し力強くなる。人間は目的地が目視できると元気が出てくるものなのだと実感した。
「やっと雪道を一休みできるね」
「そうだな」
ヒカリが繋いでいた手を離した。手のひらにはまだ相手の体温が残っている。
「さっきの話だが」
「うん」
「実行班がこの山道を登ってきた時、きっと彼らも計画に夢中で雪も洞窟も関係なかったのだろう……と思う。そうでなければ、いくらギンガ団員であっても下っ端たちは途中で音を上げていただろう」
「そうなんだ。アカギさんはそれほど眩しいリーダーだったんだね」
ヒカリの言ったその言葉に間違いはなかった。私たちが動いていた理由は、突き詰めれば実のところ、世界を創り変えるという目的のためではなく、ボスのためだった。ボスの目的に賛同していたのではなく、ボス自身のカリスマの虜になっていた者も少なくなかった。
あの人は眩しく、そして指導者となるべき人だった。ただ進む方向を見誤ってしまっただけなのだ。きっと、去っていった者達も、残った団員も、マーズもジュピターもプルートも気付いていないだろう。もしくは、ただ騙されていただけだと思っているかもしれない。彼のリーダーとしての資質は、組織に属していた者の中で私だけが知っている、という確信がある。
「あの人の言葉には、他の誰にも止められない熱がこもっていた。人の心を掴む言葉を知っている人だったな」
次に発する言葉を考えていると歩く速度が遅くなる。あの人を表す言葉がすらすらと出てくる程私は優れていない。
「私ね、旅の途中にテンガン山の中でアカギさんに会ったことがあるの。人間の心が不完全であるがゆえに、世界は駄目になっていると言っていたわ。きっと、初めは燻っていただけの不満が、目的を見つけて燃え立ってしまったのね」
「あの人を理解することは、誰にもできないだろう。目的は綺麗なところだけ切り取って話しても、本心は言わない。ずっと自分を見せない人だった」
雪原の歩きづらさに比べ、洞窟の中は幅が広く、平坦な道であり歩きやすい。坂となる場所には古い石造りの階段がある。
そういえばここまで登ってきて、坂道の階段など、テンガン山全体に人の手が加えられていることに気付いた。古代シンオウの人々がやりのはしらまでの道を整備したのだろうか。あそこは明らかに人工的な祭壇だ。しかし人のものを超える力で破壊された柱も多くある。一体何のために、と思ったが、考えていると思考を溶かすようなあの演説が頭の中に響いてくるのでやめた。きっとシンオウの時間と空間が始まった場所なのだ、とボスから得た神話の情報の断片を雑に繋ぎ合わせ、楽観的に考えることにした。

洞窟を抜けると雪がより一層激しく降っていた。
「ほらほら、また手を繋ぎますからね。はい、手を出して」
ヒカリはまるで私の保護者であるかのように言う。仕方がないのは私の体力と野外経験の少なさなのだが、面子を保つために「……またか」と一言置いて差し出された手を握った。しかし一時的に雪が酷くなっているのか二メートル先も見えず、少し待たないかと提案すれば彼女は快諾した。
ここはシロガネ山で言えば七合目程だろうか。こんなところまで来てしまった、と少し後悔した。雪山深くの洞窟入り口に、火も焚かずに二人座っているのは側から見れば遭難しているようかもしれない。
「そういえば、ずっと前の話なんだけれど、ハードマウンテンでマーズさんとジュピターさんに会ったよ。プルートさんもいた」
ヒカリは手持ち無沙汰に地面を指でなぞり落書きをしている。
「そうか。元気そうだったか」
「とっても! マーズさんは普通の女の子に戻るんだって。ジュピターさんは旅に出るみたい。ずっと前のことだから、もう旅しているのかも」
「今更どうやって普通に戻るんだかな。マーズとジュピターはこちらでも行方が全く分からないから、生きているようで良かったよ。二人とも、あの人に入れこんでいたからな」
ギンガ団の情報網を至る所に張り巡らせていても、あの二人の消息だけは不明なままだった。流石は元同僚であり幹部、こちらのしそうなことは分かっているということだろうか。
「プルートさんは逮捕されたよ。ハンサムさんっていう国際警察の人のね、グレッグルがすっごく格好良く追い詰めたんだから!」
「あのじいさんは元から組織の中でも危険分子として目を付けられていたんだ。金を横領していたとかって噂もある」
マーズとジュピターが今も自由にやっているようで良かったと思う反面、プルートのじいさんが逮捕されたことにはなんの感情も湧かなかった。やはりな、というだけだ。今になって責める気もないが、ギンガ団の目的に沿わず一人で自分の研究を続けていた。金が欲しいだけだというのは誰が見ても分かったから、じいさん以外の幹部三人は皆冷たい視線を送っていた。
穴から外を覗くと先程まで吹雪いていたのが粉雪に変わっていた。
「雪も弱まったか」
誰も通った跡の無いまっさらな雪がどこまでも続いていた。ヒカリが勢いよく外に出ると、「そうだ! 雪だるま作ろうよ。私たちがここに来た記念に」とはしゃいだ声で叫んだ。
「嫌だな。手が冷える」
「けち」
「大人に対する言葉の使い方を覚えておくんだな」
軽口を言い合っている間にもヒカリは雪玉をまず一つ作り始めていた。手を真っ赤にして冷たいだろうに、自分だけ一人見ているわけにもいかない。「上と下、どちらを作ればいい」と両手で雪を掬った。「下!」と元気な声が返ってきた。

「かわいいのができたねえ」
成人男性の膝の高さ程までの雪だるまができた。雪に体温を奪われた手は、悴んで感覚が無くなってしまった。ヒカリの手も同じだろう。それなのにまだ、「そうだ、これポッチャマにしよう」と改良を加えている。ヒカリが嘴と羽根を作り、私が顔に模様を描いた。絵心は人並みだと思っているが、手が震えて上手く描けなかった。
「帰ってくるまで残っていると思う?」
「さあな。このまま雪が降り続ければ埋もれてしまうだろう」
「そうだよね。洞窟の中に避難させておこう」
ヒカリがずりずりと雪だるまを引きずる。底面が少し削れ、土で汚れた。
「さあ、行くか」
手を差し出すとヒカリは嬉しそうな顔をした。手を繋ぐのが当たり前になってしまったようでなんだか恥ずかしい。「迷子になるから手を繋がないといけないのだろう」と、呆れている風を装い誤魔化した。

「また入り口が見えてきたな」
「ここが最後の洞窟。あとは階段を上るだけだよ。心の準備はできている?」
二度通った雪道もこれで終わりだ、ということだ。「そっちこそ準備はいいのか」と言いながら、ヒカリに悟られないよう小さく深呼吸をした。
階段を上り終えるごとに踊り場で息を整えた。やりのはしらが近づくにつれ、みぞおちの辺りがきゅうっと締め付けられていく。全身の感覚が敏感になり、段差を上るために振った手が太腿を掠めれば、触れた部分だけ呼吸を始めたのかと思うほど粟立った。
そして、最後の一段を上り終えた。
やりのはしらは、モニターで見たもの程荒れ果ててはいなかった。むしろ美しい、と感じた。ここからシンオウが始まったのだと理解した。まるでこの一空間だけ別の世界にあるような気がした。ここの時間はシンオウの創世から止まったままなのだろう。空気は重く、それなのに澄んでいた。
「サターンさん」
ヒカリに服の裾を引っ張られ我に返る。強い瞳でこちらを見ていた。そうしてここは危ない、と察した。
「あんまり身を任せちゃだめだよ。サターンさんまで、失いたくはないから」
ヒカリはゆっくりと力強くそう言う。
「ああ……、すまない」
「大丈夫」
ヒカリが微笑む。何よりも背中を押すのは、彼女が連れてきた神話の三体ではなく彼女の存在だと感じた。
「一番奥だったな。アカギ様が伝説の二体を呼び出し、飲み込まれたのは」
一言一言を発するにも大きく息を吐かなければいけない程、空気が水銀のように濃く、高密度だった。「正直、自信が無い」と、今日初めて本心を口にした。
「ここまで歩いて来たんだから大丈夫だよ。ここに居ることよりもここまで来ることの方が大変だもの」
「そうか。そうだな」
覚悟を決め、奥まで一歩ずつ足を進める。私も後ろから急に闇に飲み込まれるのではないかと思い、振り返ってはいけない気がした。
やりのはしらの深奥まで辿り着く。ここまで来るのにかかった時間はずっと長いようで、それでいて短くも感じた。ここにいると時間の感覚が歪む、と思った。
やりのはしらの祭壇をじっと見ていたら、足元にじわじわとインク溜まりのように闇が広がっていく……なんてことは無かった。アカギ様が現れることもなかった。ディアルガもパルキアも、この世の裏側に住むギラティナも、ヒカリと共に在る。
ここには、もう、何もないのだ。
そう思った。そう思えた途端、何かが心にすっと入り込んできて納得した。

やりのはしらから下りてくる時、色々な感情が入り乱れていた。だが今まで脳内にあった靄は晴れていた。頭が回転しているのだろう、祭壇で納得したこと毛糸玉に例えれば、それが少しずつ解れていく気分だった。
もしかしたら、私はずっとやりのはしらに来たかったのかもしれない。
あの時、私はボスに、一人アジトに残ることを言い渡された。
マーズもジュピターも、名前も知らない下っ端さえテンガン山を登って行くのに。
あの人が私に見せてくれない景色があることが悔しかった。
そして気付いた。
私は自らの贖罪を彼女に投影していた。
アカギ様に抱いていた羨望、願望、希望、失望、絶望、ギンガ団としての日々を過ごしていた充実感も、そして保身に走ったことでさえ、自らの贖う意思を彼女に透かし、委ねていた。
リッシ湖で私はヒカリのことを哀れだと形容した。
哀れだったのは私の方か。
いや、二人揃って哀れなのかもしれない。
もうここにはいない人間が存在したことを確かめに行ったのだ。
哀れな人間二人が寄り合って、生死も行方も分からない人間の墓参りにでも行ったようなものだ。
「きっと今もひとりぼっちだね」
ヒカリがぽつりと呟き、「ギラティナは今私といるもの」と付け足した。
「それがあの人の望みなのだろう。世界の裏側では何も聞こえず、何も無い。あの人は心の要らない世界、虚無を必要としていた。しかしそれが合っているのか、確かめる術ももう無い」
それ以降、私たちは特に会話も無く静かに下山した。ヨスガ方面から出て解散する時に、「じゃあ、また」「ああ。待っている」という会話を交わしたのが最後だ。
今日は月曜日。日曜は家で休めたが、今日まで休みは取れなかった。テンガン山から帰ってきてからも変わらず生活は続いている。私とヒカリ以外に、私たちが週末やりのはしらへ行ったことを知る者はいない。
洞窟の中のポッチャマの形をした雪だるまも、溶けないまま一人ぼっちでいるのだろうか。帰り道にあの洞窟を通り過ぎたとき、そういえば作ったなとずっと昔のことのように感じた、寂れたような顔の雪だるまが妙に目に焼き付いている。
階段を下りてくる聞きなれた音がした。そろそろいつもの時間か、と時計を見る。今日は一体何を聞かせてくれるのだろうと不覚にも気になってしまっている自分がいた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です